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      <title>四谷建築</title>
      <link>http://ofda.jp/column/</link>
      <description>O.F.D.A.　associates リレーコラム</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>ＬＥＥ　ＢＵＬ展</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://ofda.jp/column/uploads/97_review1_1123%5B1%5D1.html" onclick="window.open('http://ofda.jp/column/uploads/97_review1_1123%5B1%5D1.html','popup','width=396,height=594,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://ofda.jp/column/uploads/97_review1_1123%5B1%5D-thumb.jpg" width="396" height="594" alt="" /></a>
森美術館でＬＥＥ　ＢＵＬ展が始まった。韓国の若手アーティストである。草間彌生に始まり何人かの世界的アーティストの影響も感じられるば作品には迫力がある。コンセプチャル建築模型のような作品もある。学生の卒計でこんなの出てきたらわけも分からず点をいれてしまうかもしれない。]]></description>
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         <pubDate>Sat, 04 Feb 2012 18:23:39 +0900</pubDate>
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         <title>今和次郎展</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://ofda.jp/column/uploads/konkonnbillboad2.html" onclick="window.open('http://ofda.jp/column/uploads/konkonnbillboad2.html','popup','width=963,height=301,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://ofda.jp/column/uploads/konkonnbillboad2-thumb.jpg" width="400" height="125" alt="" /></a>
新橋の汐留ミュージアムで今和次郎展をやっている。1888年に弘前に生まれたとは知らなかった。青森なんだ。やはり泥臭い人は東北から生まれるのかなあ。と思いながら素敵なスケッチを見る。その昔早稲田に行っていた叔母さんが建築やるならと言って大学に入学した時に今和次郎全集をくれた。今から30年くらい前である。古本屋に売ったらいけないと言われてなんとなくその素敵なスケッチを眺めていた。今日その原図を見られて少々感慨深い。
彼は育つのに20年、絵に10年、農村に10年、衣服に10年、住居に10年、生活学に10年と自ら言うくらい幅広い人だった。建築が幅広い文化の上に載っかっているという僕の認識は少なからず今和次郎から来ている。建築家の中でこれだけ真剣に服飾のことを勉強して本まで書いているのは彼くらいである。改めて驚いている。
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         <pubDate>Sun, 22 Jan 2012 16:08:26 +0900</pubDate>
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         <title>オルジャッティ展</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://ofda.jp/column/uploads/1273499191-floor-plan1.html" onclick="window.open('http://ofda.jp/column/uploads/1273499191-floor-plan1.html','popup','width=400,height=261,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://ofda.jp/column/uploads/1273499191-floor-plan-thumb.jpg" width="400" height="261" alt="" /></a>
先日東京都現代美術館で「建築アートが作り出す新しい環境」展をみてコラムにこんなことを書いた。
「建築の展覧会はどんなに頑張ったって「そのもの」があるわけではないから・・・
① アーティストとなって建築とはおよそあまり関係ないものを創作する
② 建築創作の思想をそれに代わる詩的言語あるいは造形物で代替する
③ 徹底して本物を彷彿とさせる何か（映像だったり巨大模型だったり）を提示する。
この中で①は本当のアーティストには勝てないのでやめた方がいい②は伝わらないのでやはりあまり得策ではない。だから③をやるのが賢明だ」と
そしたら現在国立近代美術館（竹橋）で行われているヴァレリオ・オルジャッティ展で彼が同じようなことを言っていた。
そこにあったのはプロジェクトごとに①1/33という不思議スケールの模型②詳細ドローイング③スライドショーのボックス④彼が啓発をうけた図像学的自伝と呼ぶ写真である。
このセットを見ると実にその建物がよく分かる。まさに建物の再現努力である。
建築の展覧会はこうあるべきだ。

それにしても彼の建物はとてもいい。大好きだ。建物をこれだけ造りこまずにできたら最高だ。殆ど輪郭線だけでできている。間仕切り壁のある建物なんて殆どない
しかしこれらの建物がこれだけシンプルなのは建物用途がシンプルだからだと言う気もする。一体かれが複雑機能の建物を作るとどうなるのだろうか？そんな仕事来たら断るのだろうか？それともやはりざくっと作っちゃえるんだろうか？
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         <pubDate>Sun, 18 Dec 2011 17:05:26 +0900</pubDate>
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         <title>アーヴィン・ペンと一生三宅展</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://ofda.jp/column/uploads/miyaeikko_poster.html" onclick="window.open('http://ofda.jp/column/uploads/miyaeikko_poster.html','popup','width=498,height=704,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://ofda.jp/column/uploads/miyaeikko_poster-thumb.jpg" width="400" height="565" alt="" /></a>

ミッドタウンの２１２１ではアーヴィンペンと三宅一生展をやっている。ペンの写真は先日ポーラ美術館で最も素敵だと感じ印象に残っていた。一生をどんなふうに撮ったのだろう？という思いで見にきた。しかしこれは80年代の僕らが学生時代、一生と言えばこの写真と言うあれだった。西武やパルコにはこの写真が溢れていた。とにかく度肝を抜かれた記憶がある。
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         <pubDate>Sun, 04 Dec 2011 17:30:01 +0900</pubDate>
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         <title>モダン・アート、アメリカン</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://ofda.jp/sakaushi/diary/uploads/pc_Hopper-Sunday.html" onclick="window.open('http://ofda.jp/sakaushi/diary/uploads/pc_Hopper-Sunday.html','popup','width=200,height=171,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://ofda.jp/sakaushi/diary/uploads/pc_Hopper-Sunday-thumb.jpg" width="200" height="171" alt="" /></a>
エドワード・ホッパー　日曜日　1926
国立新美術館でモダン・アート、アメリカン展が行われている。モダンアメリカと言えば戦後の抽象表現主義がすぐに頭に思い浮かぶが、向こうのその手の本を見れば19世紀末から話が始まるのは常識。
と言うわけでここでも19世紀末のリアリズム絵画から始まる。そしてヨーロッパから印象派を習い、それが抽象化されるのは２０年代である。その代表選手は何と言ってもジョージア・オキーフ。草間弥生が憧れた当時の数少ない女流美術家である。そしてオキーフを持って初めてアメリカがアメリカオリジナルの絵を生みだし始めたと感じられる。一方オキーフと同時代にアメリカの都会を主題としてリアリズムを確立していったのがエドワード・ホッパー。これはこれでとてもアメリカらしい。
ところがその後キュビズムが入ってくるとまたヨーロッパの弟子のような姿になるのだが、戦後になって抽象表現主義と呼ばれるアメリカオリジナルのモダニズム絵画が花開く。
僕がUCLAに留学していた80年代はポストモダニズム絶頂期で建築が歴史主義でグレコローマンを具象的に模倣していたのだが、絵画でも抽象化の波は終わり具象が元気だった。大学ではアメリカンアートという授業があり担当教授のチャールズジェンクスは絵画もポストモダニズムの時代であると元気にリアリズム絵画を紹介していた。
この展覧会はその時代の前で終わってしまって少々残念だが、オキーフやホッパーを見るだけでも見る価値はある。
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         <pubDate>Sun, 04 Dec 2011 17:10:22 +0900</pubDate>
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         <title>建築、アートがつくりだす新しい環境</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://ofda.jp/column/uploads/ni-da-maiya-%20%E5%86%99%E7%9C%9F.html" onclick="window.open('http://ofda.jp/column/uploads/ni-da-maiya-%20%E5%86%99%E7%9C%9F.html','popup','width=388,height=195,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://ofda.jp/column/uploads/ni-da-maiya-%20%E5%86%99%E7%9C%9F-thumb.JPG" width="388" height="195" alt="" /></a>
東京都現代美術館で「0年代のベルリン」展と「建築アートが作り出す新しい環境」展をやっている。ここまで来たので両方見た。ベルリン展もそれなりだけれどとりあえず後者の感想。
建築の展覧会はどんなに頑張ったって「そのもの」があるわけではないから美術館でやる展覧会としてはちょっと他のアートとは違う。彫刻家がその写真とコンセプトだけを展示するようなものである。だから建築家は次のどれかをするしかない。
①	アーティストとなって建築とはおよそあまり関係ないものを創作する
②	建築創作の思想をそれに代わる詩的言語あるいは造形物で代替する
③	徹底して本物を彷彿とさせる何か（映像だったり巨大模型だったり）を提示する。
さてそうやってみると①を選択した人は悪いけれど建築家が本物のアーティストにかなうわけないのだからやめた方がいい。なんだか全く迫力が無い。②を選択した人は残念ながら伝わらない。その本物の脇にそうした思想の根源が置かれているならまだしも、美術館に置いて見る側にそれを想像しろと言っても無理がある。だから結局③をとるのが賢明だと僕には思える。その意味で今回の展示物で最も素敵だったのはヴィム・ヴェンダースの≪ロレックスラーニングセンター≫の３D映像である。近未来映画のようなシーンはフィクションとノンフィクションのボーダーに見る者を誘う。

p.s.ニーダーマイヤはポスターにもなっていて凄く見たかったのだが何処にも展示されていないのはどうして？]]></description>
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         <pubDate>Sun, 20 Nov 2011 15:19:07 +0900</pubDate>
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         <title>感じる服考える服展</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://ofda.jp/column/uploads/kannjiruhukuk%E5%86%99%E7%9C%9F1.html" onclick="window.open('http://ofda.jp/column/uploads/kannjiruhukuk%E5%86%99%E7%9C%9F1.html','popup','width=320,height=426,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://ofda.jp/column/uploads/kannjiruhukuk%E5%86%99%E7%9C%9F-thumb.JPG" width="320" height="426" alt="" /></a>
オペラシティのアートギャラリ―で感じる服、考える服―東京ファッションの現在展覧会が行われている。この展覧会、10人のデザイナーの展示それ自体も気分が和らぐ楽しいものが多いのだが、それにも増して中村竜二の会場構成にちょっと驚く。だって目線の高さにずーっと梁がかけられていて先が見えないのだから。いい悪いは別にして展示物より存在感がある。カタログに会場構成の考え方が4ページにわたって載っているのも会場構成の存在をアピールしている。それによれば服は人体あっての服なのだから、展示も場所あっての展示でよいのでは、という発想のもをとに会場を20に区切ることを考えたと言う。それはいろいろな方法があるがその中からこの梁をかけ渡すやり方を選んだそうだ。
これは中村竜二の繊細な技からはかけ離れた無骨でなんのヘンテツモ無い、本当にただの白い梁なのである。ただそれが高さ1メートル50センチのあたりにあるのだ。
僕は展示のファッションを見ながらだんだんと違うものを見ていることに気付いた。それは生身の人の着ているファッションである。
普段僕らはしげしげと人の着ている服をみることはできない。素敵だなと思ったってせいぜい2秒である。それ以上見ていると怪しげな輩になってしまう。しかしこのバーがあるとお互いの目は見えないからしげしげと見ている自分が相手には分からないのである。これは結構不思議な感覚である。面と向かって3メートルくらいの位置でその人の服装をじーっと凝視していても大丈夫である。
これこそが今の東京のファッション観察である。展示が無くても十分展覧会の目的が果たせると言う意味ではこの会場構成は凄いものである。
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         <pubDate>Sat, 19 Nov 2011 16:50:39 +0900</pubDate>
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         <title>メタボリズムの未来都市展</title>
         <description><![CDATA[<img alt="metaboism1109.jpg" src="http://ofda.jp/column/uploads/metaboism1109.jpg" width="389" height="290" />
●この頃の建築家は皆スケッチが上手である。磯崎さんの東京計画のパース。

メタボリズムの未来都市展が先週末から行われている。書評を書くために八束はじめ『メタボリズムネクサス』を丹念に読んだので展覧会の内容は既知のもの。しかし様々なオリジナルに触れられるのは展覧会ならではである。もちろん本を読んでいない人にはメタボリズムを1から理解するいいチャンスである。60年代の日本など歴史の１ページであろう今の学生さんはもとより、60年代はまだ小学生だった我々の代までも含めて是非見ておくべき展覧会である。
展覧会場に足を運びこの時代の建築は良くも悪しくも機械時代のそれだと再確認した。代々木の体育館と中銀カプセルタワーの工事中の写真を見ているととても半世紀前のものとは思えない。半世紀先に起こっていることかと錯覚するくらいである。ことほどさように建築はある意味で反機械化している（いや社会が機械時代から脱却しようとしている）。それがいい方向かどうかは今のところよくわからない。
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         <pubDate>Mon, 19 Sep 2011 17:27:59 +0900</pubDate>
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         <title>横浜トリエンナーレ</title>
         <description><![CDATA[<img alt="kabakabaIMG_0816.jpg" src="http://ofda.jp/column/uploads/kabakabaIMG_0816.jpg" width="407" height="544" />
デワール＆ジッケル　無題

横浜トリエンナーレにかみさんと行く。先日関さん（北山夫人）がバンクアートの3階の一番の奥の作品がいいと言っていたのを思い出した。それもその話は総合ディレクターの逢坂さんの勧めでもあるとか。
と言うわけで先ずはバンクアートへ。おっと、一階のカバに先ず驚く。かみさんもこれはいいねと呟く。20トンの陶土を使っている、とプログラムには書いてある。ていうことは4トン車5杯分かい？？すごいね。2階は今一つと言う感じ。3階は作りこみがすごい。一通り見て降りて来て関さんお勧めを見ていないことに気づく。プログラムを買って眺めてみるとお勧め作品はなんとクリスチャン・マークレイのものではないか！！！あわてて3階に戻り彼の部屋に入る。入口が分かりづらく見逃していた。
マークレーの作品は古今東西の映画から時刻が時計などで表示される部分を継ぎはぎした映像。そしてその時計をリアルな時と同期させている。だから映画（recorded）を見ながらそれをライブのように感ずるという不思議な体験を誘うものだった。かみさんはそれが一番面白いと絶賛していた。僕もそう思う。
バンクアートを後にして私立美術館へ。何度来てもこの美術館は建物として最低だな。丹下さんの駄作の一つである。まあ建物はひどいが作品は面白い。一番好きだったのは今村遼佑の作品。8畳くらいのモルタル床のスペースに紙屑が落ちているのだが小さなモーターに糸でつながっており。突如浮く。そして突如落ちる。また部屋の片隅が突如光る。とてもちっぽけなことが世界を違って見せる上手な演出だ。それ以外にも、横尾忠則の三叉路、イン・シウジェンの圧縮された円盤状の服、樫木知子のアクリル画、ミルチャ・カントルの白い映像。など見ごたえがあった。
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         <pubDate>Sun, 04 Sep 2011 20:06:15 +0900</pubDate>
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         <title>草間彌生展</title>
         <description><![CDATA[<img alt="chirashi.jpg" src="http://ofda.jp/column/uploads/chirashi.jpg" width="279" height="398" />
ギャラリーワタリで草間彌生の展覧会が行われている。主としてニューヨーク渡航直後の60年代に照準をあわせたものである。両親が不仲の幼少期にノイローゼになった草間に国外行きを勧めたのは信大医学部の先生だったそうだ。草間も言うようにアメリカ行きがなければ今の草間はない。会場にはニューヨークでの最初の個展に展示された「無限の網」が展示されていた。白いキャンバスに白い点が無数に描かれている。このころの実物を見たのは初めてだ。白い斑点に歴史を感じる埃が積もっていた。]]></description>
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         <pubDate>Sat, 13 Aug 2011 17:19:27 +0900</pubDate>
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         <title>パウル・クレー展</title>
         <description><![CDATA[<img alt="%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%8F%E3%82%8Cexhb_216.jpg" src="http://ofda.jp/column/uploads/%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%8F%E3%82%8Cexhb_216.jpg" width="398" height="410" />
国立近代美術館でパウル・クレー展を見た。見たと言うのは余り正確ではない。混んでいたので走って通り過ぎた。3つほど気になることがあった。一つはこの間読んだ『半透明の美学』で岡田さんが言っていたクレーのグレーの色使いである。クレーの鮮やかな色はグレーで引き立っているのだが実はグレーはわき役ではなく主役でさえあるという。その言葉が気になってその気で見ていると不思議なものでそう見えてくる。確かに人間の目は鮮やかな色に引きずられるがグレーの面積のほうが大きい絵もある。でもクレーはやはりあの鮮やかな色の方が僕は好きだ。二つ目は二つの特徴的な色遣い。グリッドで区切られた色と拡散する色。これはどちらもいい。3つ目は、西澤くんの会場構成。アトリエごとの個室のようなしつらいとランダムに壁が配置された大空間。ギャラリー風の小空間は好きだが、大空間は散漫だ。]]></description>
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         <pubDate>Sun, 03 Jul 2011 17:43:04 +0900</pubDate>
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         <title>ロバート・フランク展</title>
         <description><![CDATA[<img alt="110602_frank.jpg" src="http://ofda.jp/column/uploads/110602_frank.jpg" width="480" height="360" />
ロバート・フランクoutside my window展がお茶の水のギャラリーバウハウスで行われている。神田明神の横にこんな素敵な写真専用ギャラリーがあるとは知らなかった。
ロバート・フランクは１９２４年スイス生まれ。ニューヨークに移り住みグッゲンハイム奨学金をもらってアメリカを旅し「アメリカ人」（The Americans）と言う有名な写真集を出した人である。
この写真集は家にあり、それを見てから行った。オリジナルプリントの方が何故か粒子が粗い気がした。気のせいかもしれない。でも彼のちょっとぼけたスナップショットには洗い粒子が似合う気がする。多木浩二の写真のように。
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         <pubDate>Sat, 11 Jun 2011 18:07:11 +0900</pubDate>
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         <title>リヒターとトゥオンブリー新作エディション展</title>
         <description><![CDATA[<img alt="%E3%83%AA%E3%83%92%E3%82%BF%E3%83%BC%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91.jpg" src="http://ofda.jp/column/uploads/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%82%BF%E3%83%BC%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%91.jpg" width="398" height="498" />
<img alt="%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC201105gr_ct_01_image01_1.jpg" src="http://ofda.jp/column/uploads/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC201105gr_ct_01_image01_1.jpg" width="398" height="410" />
六本木ピラミデ3階WAKO WORKS OF ARTでゲルハルト・リヒター、トゥオンブリー展が行われている。リヒターはガラス上に多色のラッカーの混合を表現。シリーズ作品で全部で10くらい並んでいる。色のついた地盤の断面のようである。一方トゥオンブリーはチューリップをマクロを使わず接写してボケとピンの臨界を表現。これも全部で20くらいあるだろうか？とてもきれいな黄色である。
それにしても、20センチ角くらいのリヒーター作品が300万円台で同じ大きさのトゥオンブリー作品は200万円台とは。
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         <pubDate>Sat, 28 May 2011 14:47:49 +0900</pubDate>
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         <title>路上</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://ofda.jp/column/uploads/cont_1376_2.jpg"><img alt="cont_1376_2.jpg" src="http://ofda.jp/column/uploads/cont_1376_2-thumb.jpg" width="500" height="245" /></a>
国立近代美術館の2階で「路上」という展覧会が行われている。収蔵品+アルファで路上というテーマに合致する作品が展示されている。道というのはなかなか興味深いテーマである。岸田劉生の「道路と土手と塀」や東山魁夷の「道」など。しかし圧巻は道のファサード写真を撮った絵巻物のような二つの写真集である。一つはエド・ルシェー『サンセット･ストリップ沿いのすべての建物』1966年もう一つは木村荘八『銀座界隈』1954年である。二つを比べてなるほどと思ったのは、サンセットの方が道自体かなり長く、そして建物が低くて横に長い。だいたい2階建てが多い。そして空き地が多く緑も随所に見られる。一方銀座は短い道に小さな建物が沢山並んでいる。高さはサンセットより気持ち高い気がする。もちろん空き地は無いし緑は殆どない。
という印象は今から半世紀前のことだが、恐らくその印象は今も変わらないと思う。サンセットを車で飛ばすと高いのはパームツリーだけで空は確実に銀座より広い。ストリートの印象は空の広さと緑の量に大きく左右されるということだ。
ところでこの絵巻物のような長―い写真集を展示しているベニヤのケースは西沢徹夫君のデザインだそうだ。毎回素敵なディスプレイに感心する。
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         <category></category>
         <pubDate>Sun, 22 May 2011 15:49:32 +0900</pubDate>
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         <title>ホンマタカシB見たぞ</title>
         <description><![CDATA[<img alt="exh01_photo05.jpg" src="http://ofda.jp/column/uploads/exh01_photo05.jpg" width="400" height="316" />
オペラシティギャラリーで「ホンマタカシ・ニュー・ドキュメンタリー」展をやっている。ちょっと前に美術手帳で特集されており平倉君の批評が面白かった記憶がある。その時は金沢２１でやっていたのだが、東京へ巡回してきたので覗いてみることにした。Tokyo and my daughter と称して人の娘を写していたり、widowsと称して静物写真だったり、見るモノをはぐらかす。そんなホンマの見せ方を美術手帳で平倉はホンマの狂気と呼んでいた。ものの同一性が消えていくこと。あるいは消してしまうことそれを狂気と呼びホンマの裏の側面と言う意味でホンマBと呼称していた。そんなホンマBを感じようと思って見に行った。しかし最初の方のdaughter, widows, togetherは全く僕には面白みのないものだった。もちろん狂気なんていうものさえ感じないただの写真である。もっと言えば表題と中身のずれが姑息であるし、妙に技巧的。昔のホンマはもっと素直にいいなあと思えたのになあと思った。が、最後のtrailsで少々違うものを感じた。これは知床で鹿狩に随行した時の写真である。メートル角の大きな写真が10枚近くあるのだが、どこにも鹿はいない。あるのは雪上の血だけである。しかもよく見るとこれが絵の具にも見える。ご丁寧に赤い血の色をしたドローイングも壁にぶら下がっている。
なんでこれが気を引くのかと考えてみた。それは平倉が狂気と言っていたことなのだろうか？確かにある意味狂気である。ただ平倉が言うような同一性が消えるなんてかっこいい言い方で表現するべきこととは思えない。何て言うか平気で、素知らぬ顔をして嘘をつくやつの不気味さと言うようなものなのである。マジで大仰な表現をしてさあ見ろと言いながら、嘘という不気味さである。
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         <pubDate>Tue, 03 May 2011 13:17:52 +0900</pubDate>
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