景観・法・建築家

1 グレゴリー・ベイトソン「物はなぜゴチャマゼになるのか」、『精神の生態学』、新思索社、2000.

2 日本経済新聞2005年11月8日○刊

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(写真1)
日本経済新聞2005年11月8日○刊

3 『景観法はまちの魅力を引き出せるか』、東京市政調査会、2005.

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(図1)
東京都「眺望の保全に関する景観誘導指針」眺望地点誘導区域の図
東京都公式hp http://www.metro.tokyo.jp.
/INET/OSHIRASE/2006/03/20G3o703.htm

4 例えばロサンゼルスでは1957年までビルの高さは13階建てという制限があったが1928年完成の市庁舎だけは例外的に454フィート(137メートル)の高さを誇っていた

5 西村幸夫編著『都市の風景計画-欧米の景観コントロール 手法と実際』、学芸出版、2000.

fig.4

fig.4
(図2)
上 指定された10ヶ所の戦略的眺望、ロンドン(出典:City of Westminster 1994)
下 戦略的眺望規制の具体例、ロンドンプリムローヒルからセント・ポール大聖堂の場合、(出典:Doe 1990)
両図とも西村幸夫編著『都市の風景計画』、学芸出版社、2000.より

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(写真1)
絵画館遠景 近景
迎賓館遠景 近景
国会議事堂遠景 近景(筆者撮影)

 「物はなぜゴチャマゼになるのか」というグレゴリー・ベイトソンと娘メアリーの会話がある1
自分の部屋が直ぐ「ゴチャマゼ」になるのはどうしてか?と問うメアリーに父親ベイトソンは「片付いた」状態より「ゴチャマゼ」状態の場合の方がはるかに多いからだと答えるのだが、そこへ至る過程で見逃せないのは、片付いた状態というのは誰にとってかという定義問題である。それは父・母・メアリーでそれぞれ異なり三者三様なのである。さて物を都市と置き換えてみればメアリーの問いは現代都市に対して同様の問題を投げかけてくる。「都市はなぜゴチャマゼになるのか」?それは片付いた状態の場合の数が少ないからなのか?それとも「片付いた」という言葉の定義が定まらないからなのか?


私が日建設計に勤務していた1987年。東京信濃町駅前の慶応病院が改築された。地上11階、横連窓にバルコニーのついた白い清潔感のある建築に、竣工当初景観的クレームが寄せられたと聞く。それはこの建物が神宮外苑絵画館の右翼後方に現われ、絵画館のシルエットを乱すことに対するものだった。
あれから18年、昨年(2005年)11月、この絵画館後方新宿区大京町で築40年を越すマンションの建て替えが発表された。既存のマンションは7階建てであり、計画案は100メートルを超える。実行されると、絵画館の中央ドーム後方にかなりの大きさでその外観が現われるというもの(写真1)2 。計画自体は法を遵守するものだが、東京都はそれに待ったをかけた。理由は、当時都の景観審議会で絵画館を含むいくつかの建物眺望について審議中だったからである。一昨年(2004年)に制定された景観法が地方行政に影響力を及ぼした初期のケースである。

1、法的制御
  景観法は2004年6月に公布された。それまで景観に関わる許認可事項は地方自治体の条例により、主として色彩上の届出義務程度のものであった。それが今回法令化されたことによって全国レベルの施策になった。その内容をかいつまんで言うと地方自治体は景観計画区域を定め、その中でも積極的に整備する部分を景観地区として都市計画決定し、その中でのルール作りを行う。さらに景観上重要な公共施設、歴史的建造物を指定し、その整備機構を組織することができるというものである。そして重要なのは法令の運用が自治体の自由意志に任されていること。規制内容の作成に住民やNPOの参加が可能なことがあげられる。つまりその法的制御は一義的でないという点である3

既述のとおり景観法は突如降って湧いたものではない。東京都における施策の推移を瞥見するならば、1997年に「東京都景観条例」、2003年「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」、2004年の「景観法」の制定を受けて2005年に知事の付属機関として「景観審議会(会長戸沼幸一)」が設置され2006年には数種類の景観上重要な歴史的建造物が指定された。ただし東京都によれば、景観法を受けた条例化、景観地区の都市計画指定など、市、区レベルで行われる施策はこれからのようである。しかし例外的に景観法に後押しされるかたちで、2006年4月から「眺望の保全に関する景観誘導指針」(以下「眺望指針」)がいち早く策定され、冒頭記した絵画館を初め、迎賓館、国会議事堂の3つの建物についてその後方の視界にはいる建物の規制が開始された(図1)。

2、「眺望指針」
「眺望指針」は景観法に直接基づくものではないが、現代の都市景観問題を考える上での端緒を開く。歴史的に見れば都市のランドマークはその眺望が重視されてきた4 。また90年代ロンドンでは眺望の確保が法制化され、国家的に重要な10の戦略的眺望(Strategic View)が指定された(図2上)。それらは英国のランドマークであるセント・ポール大聖堂もしくは国会議事堂へのものであり、対象建物の眺望を確保し、そのシルエットを保護するため指定されたビューポイントと建物間及び建物背後の高さを規制するものである5 。 一方東京のそれは前方規制はなく後方規制のみ行うもので、建物後方を3つの領域(後方1q、後方1q〜2q、2q〜)に分け、建物前方の定められたビューポイントから見て、建物直後の1q内に建てる建物は対象建物より上部に出ることを禁じ、後方1q〜2qの範囲に建てる建物は対象建物の中央ドームから上部に出ることを禁じている。東京で前方規制がないのはロンドンの場合と異なり指定建物を遠景から眺め下ろすような場所がないからである(図2下)。
東京の対象建物を観察すると建物及びその視界周辺状況にはいくつかの共通点があることに気付く。それらは@建物がシンメトリー、Aシンメトリー軸上のアプローチ道路、Bその道路上の並木である。つまりこれらの建物は並木によって強調されたパースペクティブなシンメトリー軸上から見るように作られたパース的建物群なのである。(写真1)。
 

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