メタボリズム・ネクサスに学ぶこと

3. ナショナリズムの時代
建築的スーパーエゴが強まる時代は既述の通り文化、政治のレベルで国家が前景化するナショナリズムの時代である。大澤真幸が指摘する通り、「ナショナリズムの本質は、背反する二つの志向性の交叉に、すなわち特殊主義的な志向性と普遍主義的な志向性の交叉にこそある」★4。これは八束氏が「インターナショナリズムvsリージョナリズム」と題した論考で冒頭述べている以下の言葉と相同的である「まず帝国主義という一種の政治―経済上のインターナショナリズムがあって、次にナショナリズムが生じたのであって、その逆ではない」★5。大澤の言葉でパラフレーズすれば、インターナショナルという普遍がナショナルという特殊を生みだしているということである。
さてナショナリズムのこうした構造を示したのは、著者の指摘するメタボリストのスーパーエゴの内実を補完するためである。メタボリスト達は丹下健三のように作る形の中に明らかな日本的ヴォキャブラリーをはめ込むことはなかった。その意味では一見インターナショナルな建築家と見えなくもない。しかし一方で彼ら及びそのネクサスには強く日本を支える意思が芽生えていた。それはさまさざまな状況の結果である。戦後の高度経済成長の牽引役としての自覚。インターナショナルな状況との対峙。日本製メタボリズムへの高評価、などである。こうした特殊と普遍の交叉の上で彼らはナショナルな建築家であらざるを得なかった、言いかえればスーパーエゴを掲げざるを得なかったわけである。
さて21世紀に入り現代日本は再び保守化していると言われている。それは大澤によれば、多文化主義の中で世界的普遍を語る困難が局所の(国家の)普遍を代理として対象化する中に生まれると説明される★6。こういう時代に戦争並みの災いが起こると国内的な普遍としての「救済」がナショナルな意識と連動して世に広まる。「がんばれニッポン」はまさにそうした空気を表わしている。それは必然でありわれわれは可能な限り連帯意識を持ってことにあたらねばならぬことは当然である。しかし問題はそのやり方である。われわれは60年代のメタボリスト同様なスーパーエゴを掲げてことにあたれるのだろうか?

4. 新たな架橋
既述の著者の論考「こんな時だからこそ、カプセルばかりでなくメガストラクチャーを」において著者は街を立て直す大枠をソフト/ハード双方から考える必要性を説く。その通りだと思う。そんな仕事に久しく手を染めていない私などはそう言われてもどこから手をつけていいのやらと呆然としてしまう。それは著者も言うとおりそんな簡単なことではない。大学教育の根底をも覆すような話でもあるかもしれない。しかし、とは言えこれをきっかけに著者が「ビーダー・マイヤー」と嘆く現代の建築状況を180度転回させることは必然であろうか?
言い換えれば、グローバル--リージョナル、普遍--特殊、メガ--ミクロ、全体--部分、都市--住宅という相関する対概念の中で恐らく後者の概念に閉塞しがちな現在の建築家の立ち位置を強引に前者の上に引きずり出すことが得策なのだろうか? というのも被災地のみならず、日本の都市や町を今後いかに手入れしていけばいいのかについて、そう簡単に答えが出ることとも思えないからである。単にきれいな青図(メガストラクチャ)を描けば終わるような話でもない。満身創痍の傷口にひたすら絆創膏を貼り続けることしかできないところもあると僕には思われる。それでも人々の心に安堵が訪れるようなそういう場所を作ることをわれわれは考え続けなければなるまい。そこにおいては後者の立ち位置にいることがむしろ効果的な場合もあるのではなかろうか?
ただし後者に立ち位置を構えようとも、前者と交信する努力はせねばなるまい。ミクロな発想(後者の立ち位置)をメガな全体(前者の立ち位置)に位置づける展望、言い換えれば二者択一ではなく双方をつなぐ架橋の構築が求められる。
メタボリズムの時代の巨匠たちから学ぶものがあるとすればそうした全体を見渡す広い視野とヴィジョンの構築力だろうと思われる。

さかうし・たく 1959年生まれ。建築家。東京理科大学工学部教授。1983年、東京工業大学工学部建築学科を卒業後、UCLA大学院建築学科修了。1986年に東京工業大学大学院修士課程修了。日建設計勤務を経て、1999年よりO.F.D.A associates共同主宰。主な作品に《リーテム東京工場》《角窓の家》ほか。著書に『建築の規則──現代建築を創り・読み解く可能性』。


★1──子安宣邦『「近代の超克」とは何か』(青土社、2008)
★2──八束はじめ『メタボリズム・ネクサス』(オーム社2011、p.434)
★3──Art and Architecture http://aar.art-it.asia/u/admin_edit3/yh9ECFjdZ8V0nuO3IQpJ
★4──大澤真幸『近代日本のナショナリズム』(講談社2011、p.14)
★5八束はじめ「インターナショナリズムVSリージョナリズム」『建築の20世紀終わりから始まりへ』(デルファイ研究所収1998, p.167)
★6──大澤前掲書


10+1webサイト2011年7月号 所収