→HOME

言葉と建築

東京理科大学大学院
言葉と建築2012


第7講 歴史 - history

1、 十九世紀における「歴史的建築」

  1.1 歴史の重み:リバイバリズム

過剰なまでの考古学的な知識を前にして、十九世紀後半の主要な関心事のひとつは、絶え間ない様式のリバイバルによる様式の価値の低下をいかに避けるかにあった。

—Violet-le- duc

   我が時代のヨーロッパ人は、人間の前進が加速されている状況ゆえに、そしておそらく正確に言えばあまりにも速く前進しているからこそ、人類の過去全てを再現する強い必要性に駆られている

1.2「歴史的建築」を創造する責務

もし建築が過去の人々の意識に接する機会を提供したとするならば、十九世紀に創られる建築は後の世代に対して十九世紀の精神構造の本質を明らかにすると想定できるということである。

 —Morris, W

建築の様式は伝統を抜きにすることはできないし、少なくともそれは以前に行われてきたあらゆることと全く異なることで始めることはできないであろう。しかし、それがいかなる形で現われようともその精神はその時代の要求や願望と共鳴するものとなり、過ぎ去った要求や願望の模倣とはならない。

 

2、「歴史」とモダニズム

Nietzsche, F

歴史を拒否することは過去に対する復讐であった。建築家たちの復讐の下地の一部は、著作『悲劇の誕生』、『反時代的思考——生に対する歴史の利害』、『道徳の系譜』において十九世紀の歴史学を攻撃したフリードリヒ・ニーチェによって用意された。実際、ニーチェは歴史そのものの重要性を否定したわけではなく、むしろ歴史を克服し、忘却することを通して超歴史的な意識に到達し、完全に現在に生きる必要性として問題を捉えていた。

2.1近代建築国際会議〔CIAM〕

創立会議での宣言文の最初の段落には、署名者たちは「自らの作品に過去の時代や過ぎ去った社会構造における設計原理を適用することを拒否する」

2.2 bauhaus

ドイツのバウハウスの教育プログラムでは、学生に建築史を教えなかった

2.3 歴史的建築としてのモダニズム

 2.3.1 Pevsner, N

  一九三六年に著した論争的書物『近代主義運動の先駆者たち』

 2.3.2 Giedion, S 

  『空間、時間、建築』(一九三八年から三九年にかけてグロピウスの招きによってハーバード大学で行った講義をもとに書かれた)

  Popper, Kの『歴史主義の貧困』によって広まった言葉

 2.3.3 Gropius, W

    ハーバードの授業から建築史をはずした

 

3、 モダニズム以降の「歴史」

過去と現在の相剋としての「歴史」は現在においてしかつくりえない。したがって新しい建築作品全ては歴史的行為であり、それらは多かれ少なかれ既存の作品すべての再解釈を促すのである。こういった意味あいでロジャースは建築を「歴史」と捉えていた。

3.1イタリアの建築家

3.1.1Gregotti, V

『建築の領域〔Il Territorio dell’Architettura〕』1966

 「歴史は興味深い道具を提示する。その知識は必要不可欠のようでありながらも、一旦習得しても直接使うことはできない。換言すればそれは廊下のようなもので、出口に行き着くために端から端まで歩き通さなければならないが、それが歩き方について何かを教えてくれるわけでもない」

3.1.2Rossi, A

『都市の建築〔Architecture of the City〕』1966

こうした永続性は過去の物理的な痕跡としての記念碑や、都市の基本レイアウトや計画における永続性として明らかになる

 

3.2フランスの社会地理学者

 ロッシの{人工物|アーティファクト}の「恒久的なもの」に現われる都市発展の過程だとすると、もう一方はフランスの社会地理学者たちに由来する「{集合記憶|コレクティヴ・メモリー}」という概念に包含される

ロッシはその考えを援用し、「すべての都市はそれぞれの魂を持ち、それは古い伝統、現在の生きた感情、あるいはまだ満たされていない願望で作られている」

3.3 ロバート・ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』1966(アメリカ版ロッシ)

しかし「歴史」という言葉の定義でロッシとは全く異なっていた。

ロッシの攻撃の対象が「機能」であったのに対し、ヴェンチューリの攻撃は「{形態|フォーム}」、特にモダニズムにおける{形態|フォーム}の過剰な単純化に向けられていた。

3.4ダニエル・リベスキンド

二十世紀の歴史哲学の教訓を学び、それを作品に適用した数少ない建築家の一人

有意義な建築を創造するということは、歴史を真似ることではなく、明確に表現することである。またそれは歴史を消すことではなく、取り組むことである