vマレ菖写r!rケモsru
home home
講義 PART3 カンケイを計るモノサシ
第10講 建築はしゃべるか――meaning
< 1/3 >
introduction
第1講 anonimity
第2講 parts
第3講 capacity
第4講 form
第5講 smoothness
第6講 tectonics
第7講 color
第8講 intention
第9講 site
第10講 meaning
見学
見学1 House SA
見学2 I邸
見学3 連窓の家 #2
見学4 Gae house
参考文献
ダウンロード
O.F.D.A. associates

トラピスト

ジャンヌーベルがTNプローブで篠原一男と対談した時、篠原はヌーベルの劇場壁面を見ながら装飾だと言って称揚した。今年の1月の新建築で伊東豊雄は装飾の力を強調した。二人の建築家が言う装飾とは何か?広辞苑では「美しくよそおいかざること。また、そのかざり、よそおい。かざりつけ。」であるが、二人の建築家の指すものはもう少し限定された意味である。

建築の世界で装飾というとき最初に無意識に引用されている文脈はアドルフ・ロースの『装飾と犯罪』である。そしてそれは当然のことながらネガティヴなことばなのである。またそれはモダニズムの本質の一つである抽象という概念の対立軸の逆側におかれたものとして語られる。その時この言葉には具象という意味合いが色濃く付着してくるのである。

つまり、ある部分を捨て、エッセンスだけを表そうとする態度に代わり、捨てることなく、全体を像を具えて表そうという態度が抽象の対語としての具象である。それはもう少し建築に引き寄せて語るなら、モダニズム期に抽象と言って捨象した様々なものをもう一度具えることに他ならない。

しかし注意すべきはそうした試みは建築のポストモダニズム期に(モダニズム期に捨象された)物語の復活として歴史様式を付加した建築が沢山作られるかたちで行われ、結局何も語りえず終わったと言う事実である。

当然ここで彼らが具えるべきとしている像はこうした失われた物語としての歴史様式ではなくもっと人間に本質的な像なのだと思う。そうした新たな像が人々に何かを語るということが今可能性を持ち始めているのである。その語る内容とは何か?そしてその語り口とは?

pgae top (C) 2004, Taku Sakaushi. All rights reserved.