可能性の包容

3.
Kevin Lynch, THE IMAGE OF THE CITY, MIT, 1960. 『都市のイメージ』岩波書店(丹下健三・富田玲子訳、1968年)

4.
中村良夫は特定の社会集団あるいは特定の文化圏内で暮らしている人々の間にはある種の風景的イメージが共有されているのが普通であると述べそれを集団表象と呼んでいる。
中村良夫『風景学入門』中公新書、1982年
(4)希薄な集団表象/骨格

 いささか古い調査であるが、ケビン・リンチの名著『都市のイメージ』 に登場するロスアンジェルスは「広がりきった」「広々とした」「形がはっきりしない」「中心になるものがない」という形容をされている。*3

 こうした形容をされるのはリンチ的に言えば、ランドマーク、エッジ、ノードといった都市の集団表象*4を築く要素が不足していることに起因するのであろうが、ロスアンジェルスに即して言えば、人々の移動手段がほぼ車に頼っているところにあると思われる。すなわち、そうしたリンチ的要素があったとしてもあるスピードの中では、認知され得ないからである。街の印象を構成するものはリンチ的スケールのものではない、それより遙かに巨大な何かである。例えば海岸線であるとかハリウッドの丘であるとか、ダウンタウンのスカイラインといった類のものである。建物のファサードや街並みの雰囲気というスケールのものに特別な印象を持つということはあまりない。

 この都市においては、都市に象徴的な意味を形成する骨格というものは人工的なスケールではない。自然的スケールのある巨大さが必要なのである(図8、9)。それを端的に示す例が、映画『ブレードランナー』でのイントロのシーンである。ここに登場するロスアンジェルスはハリウッドの丘の上から見下ろした無限に広がるグリッド状の夜景である。これこそが唯一ロスアンジェルスにおいて人工的と呼びうる骨格、ロスアンジェルスに住む人々が共有する人工物の集団表象なのかもしれない。しかしこの眺めは、日常の風景として都市の中に現れるものではない。

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