素材と建築デザイン

空間性(形式性)と物質性(質料性):坂本先生の作品を通して

 坂牛  この間「水無瀬の町家」(cf.1)に行き、例の「やりっ放しコンクリート」を拝見しました。そしてその外観がいわゆる記号論的な建築の読み方を前提とした上でそれを拒否していると感じました。もう少し言うと、あれを普通の人が見ると何でできていると思うかと考えてみたのです。一応コンパネの割りが見えるからコンクリートと思うか?と思いつつ、一般的なコンクリートの無機的なテクスチャはほぼ皆無で、むしろ有機的な生物のしかも病気の皮膚のような表情をしている。しかもコンパネは波打っている。銀色に輝いているのを見ると金属パネルかなと思いつつ、これだけベコベコのパネルはないと一般人は思うだろう。これはまさにある形式をちらつかせながらそう見せないという、社会が付着した意味をはぎ取る一つのやり方ではないか、ということを感じました。

 坂本  意図したわけではないのです。意図したわけではないけれども、当時コンクリートの建物をやる機会のない小さな町の工務店であれば、あの状態に近いことになるだろうという予測はないわけではありませんでした。でも予測以上でした。実際にコンクリートが打ち終わって、施工者もこれはないでしょうと、自分たちも恥ずかしいからモルタルで仕上げさせてほしいと。で、そこでの決断がたぶん自分の考え方のそれからの方向を決めたことになると思うんです。かなり迷ったのですが、これでいいのだと結論したわけです。
 これでいいとしたことが何なのか。きれいに仕上げた時、そのきれいに仕上げたという表現に対して違和感を感じたわけです。それはコンクリートというのは打ち方によってはまちまちのものだと。だからといってジャンカができて防水の対応ができない技術的な問題があれば困るわけですが、それさえクリアしていれば問題ないとの結論です。このような状態はある程度想定されていたわけですから、銀ペンキの塗装は最初から仕様に入っており、そのことでそれなりに相対化する、つまり単にやりっ放しだけでもないということです。結果的には一つの表現ですが、ただその表現も赤ペンキで塗るといったより積極的なものではなくて、どちらかといえば地味な、下地になるような塗り方でいい、という考え方だったと思います。失敗は失敗なりに自分側をコントロールすることによって納得し、考え方を確かにすることだったと思うんです。

 坂牛  あの時代、荒いコンクリートの表現はブルータリズムという切り分けができたと思うのですが、それをまた拒否する銀ペイントだったというのはありますよね。
 で、何で外壁が銀なのかということについて、「代田の町家」(cf.2)を作られたときに坂本先生は水無瀬の話を持ち出してきて、いわゆる「途中の状態」を作りたいと書いている。ある色で塗ってしまえばその意味が強すぎて、そうじゃない意味を持った色はモノトーンになると。グレーならいいけれど自分の気分としてはシルバー、シルバーっていうのは工事の防錆塗装みたいなもので、ある意味では途中経過みたいな色だからそれが最もその意味を付着しにくいのではないか、ということを書かれています。

 奥山  ある意味での「未仕上げ感」なわけですよね。たぶん坂本先生は空間性が先にあると言いながら、自分の肉体的な感覚としてはけっこう最初から実体のものと向き合っているんですよね。先生は最初に作られた「散田の家」(cf.3)とか「登戸の家」(cf.4)のあたりは、ある意味でオーディナリーな材料の扱い方をされていて、まさしく先生がおっしゃるように空間の形式を作れればいいという感じだったと思うんです。それがその次の水無瀬の町家の時に素材そのものと切実に向き合う状況が生じ、その後いくつかの住宅では、乱暴なというよりは過激なモノの扱い方をされるようになった。水無瀬の町家以降のいくつかの住宅ではモノと向き合う姿勢と空間を獲得する意識がほとんど同じレベルで同居していたと思うのですが、いかがですか。

 坂本  散田の家は、最初の設計段階では木部に全部OPを塗る予定だったんですが、施工者が材木屋さんだったために桧の良い材料が入って、そのためペンキを塗れなくなったんです。ですから表現としては幾分かの不本意な結果ではあるんです。ただあの建物では「閉じた箱」という空間の形式を実現することが主題だったわけですから、その塗装を省くことに妥協せざるを得なかったと思います。
 それ以降はよりコントロールすることになります。たぶん特に意識したのは代田の町家で、それこそ大理石をわざわざ使うような操作を始めるわけです。その時は「未仕上げ感」という意識はなかったと思いますが、ただ最終的なテクスチャーが出てくることによってそのものが完結すること、あるいはそのことによって作られる物質感に固定されることへの嫌悪感がありました。あのときの文章に、空間的なボリュームの形式さえできればインテリアデザインを他の人にまかせても良かったかもと書きました。
 いま未仕上げ感と言われて、なるほどと聞いたのですが、たしかに「House SA」(cf.5)とか「Hut T」(cf.6)など最近のものはかなり未仕上げ感が強いと思いますし、それは意識しています。未仕上げ感って何かというと、完結性の排除ということですが、また「時間」の問題、未仕上げ感というのは時間を含み込むような感じがします。

 坂牛  続いて個別の話をしていくと、「祖師谷の家」(cf.7)とSAの黒い床がとても印象的で、SAを見たときにどうしてああいう流れるような空間を作りながら、祖師谷の時に多木さんが言ったような、昔の農家を思わせる真っ黒い床、そういうメタファーにさえなるものをあえて使うのかと感じたんです。そのときに思った結論は、先生のある種の「日常性への希求」みたいなものがあって、建築家が何かものを作る、その建築の意志がどこかで人間の日常感を壊していくところが少なからずあると先生は感じているんではないかと。
 ある批評家がヴァレリーについて、形式を徹底的に追いつめた所にその限界と邂逅するのは宿命であると説明しているけれども、これはすごく坂本先生にもはまる気がしています。これほど形式という問題を考えている建築家だからこそ、その先にある人間が作り出すものの限界を超えたものとしての「日常性」に突き当たらざるを得なかった、とあの素材を見たときに思いました。それはたぶんさっきの未仕上げ感にも通じてくるわけです。「そこまで僕は手を施さない」というような意識でしょうか。

 奥山  確かに祖師谷の家はそれ以前の住宅に比べて物質的なレベルでのソフィスティケーションを感じますよね。ベニヤで全部作ってしまうという家型の連作(cf.8)での徹底したやり方や「散田の共同住宅」(cf.9)における空間形式だけを追求していく方法から比べると、素材レベルでの洗練を少し感じるんですよね。
 それは坂牛さんがおっしゃったように日常性というレベルの問題なのか、それとも坂本先生がおっしゃる二次的な意味というのが時間的経過の中で変化した問題なのか。80年代初頭という社会的・建築的状況、あるいは坂本先生御自身の活動の軌跡とも絡んでいるような気がしますが?

 坂本  即物的な言い方をすると、黒い床にしたというのは空間の重心を下げたいということだと思うのです。けれど坂牛さんが言われたような意味合いもないとは言い切れません。
 祖師谷の家は理解していただきにくい建物ですね。あの住宅は70年代の終わりから設計が始まり80年代に入ってすぐできたわけですが、日本においてのポストモダニズムが言われた時の建物です。黒い床と腰から下の黒の壁を一体化する形でその場を支えているのに対して、壁の途中から天井までの覆いの部分は白い、そういう構成であの建物全体を一体化している。つまり細かく分節された部屋があるときに、どのように全体の統合を成立させるかが重要だったわけです。装飾と意識していたわけではないんですが、結局下方の黒と上方の白という対比が全体に拡がることで建物を纏めるという考え方がポストモダニスティックな対応だったと言えるかもしれません。
 また、少し前から家型ということを考え始めるわけですが、人の住まう場所は建築としてどう成立するのだろうかという検討のなかで「家の形だから家なんだ」という一種のトートロジーで、それ以外の他の意味を排除した。その家型でいくつか住宅を作ってきたわけですが、祖師谷の家はさらにその家型の完結性を壊し始めた時期ですね。家型を断片化して家の形でありながら家の形ではないという操作を始めた。祖師谷の家は幾何学形態の三角形とかヴォールトの組み合わせでできていますが、そういう意味で非常に操作的です。その操作性が、奥山さんが指摘したような洗練性だと見ることもできるかもしれない。しかし結局その操作は何なんだろうかと一方で思い始めるわけで、その面倒な操作をやめようということに次第になっていく。ある意味でこの住宅は家型の最後だと言えるし、家型を相対化し始めた出発点だと言うこともできる。いま床の問題を言われましたが、そのときに素材は操作の手段として利用したと言えそうです。

 奥山  面白いですね。空間の形式がまずあって、それに差し障りのないような物質を選ぶんだと最初の頃おっしゃっていながら、今のお話の場合は形式を補強するために物質的な性質を利用している、という床ですよね。

 坂牛  つぎに全体についてですが、初期の頃からHut Tまでを含め主要な建物を見せていただき、これらの仕上げの特性を「オールオーバー」という言葉で表現できると思いました。たとえば代田の町家や水無瀬の町家の外壁は全部銀で塗っている。それから3つ造られた家型のシリーズの内部は徹底してラワンが使われて、ほとんど床も壁も天井も全部同じ材料でできているように見えるし、Hut Tも非常にそういう感じを受けました。
 この全体があるひとつの調子によって作られる(オールオーバー)ものを見ることの効果について、ある美学者がモネの「睡蓮」の絵を批評してこう言っています。それまでの風景画とモネの睡蓮の違いは、それまでの風景画には遠景・中景・近景という形式があったのに対し、モネの睡蓮は画面のどこへ行っても睡蓮なわけで、それを見ているといわゆる筆使いとか色とかにどんどん吸い込まれていく。つまり形式がないからそこからこちら側も意味を切り取りにくいという現象が起きてくる。そこでは見る者の視点がどんどん多中心化して、どこかにぱっと吸い寄せられない、その時には、記憶とか連想とかいろいろな関係性以前に「視覚」が前景化され、視覚が記憶を吸収する状態になる。坂本先生の建物を見たときも、このオールオ−バーな表現は意識的か無意識的かに関わらずあるなあと感じます。非常に多中心化していくわけです。例えば「南湖の家」(cf.8)で家具が全面的に作られていたときに、どこかに僕らの視点が特定されることを拒否しているわけです。見るものが意味を汲み取ることを拒否しようとしているともいえるわけです。

 奥山  空間では分節を求めるけれど素材では無分節を圧倒的に指向するという、矛盾することを同時にやろうとする、それは何なんでしょうか。

 坂本  物性的な意味からいえば、壁と天井あるいは床には性能的に差があるけれども、たとえば外部で雨に曝される所で必要とする性能と比べればその差は小さいわけです。だからそんな差は等価で、差なんてなくていいし、それぞれの材料を変える必要はないということになるわけです。
 たとえば具体的な生活に対応するような用途とか場とかを検討していけば空間的には分節をせざるを得なくなる。さっき祖師谷の家で多くの部屋を取らざるを得なかった、それをどうやってまとめるかが問題だったと言いましたけれど、そのようにどんどん分節化されていくのに対して、その分節を止められる、あるいは逆にそれを統合させるのは単一の素材で広げていくということだと思います。
 奥山さんがおっしゃった、空間的な分節をする一方で素材的には無分節の方向になるというある種の矛盾、それはまさにある方向を取るときにその逆方向を重ねることで作られる、空間の宙づり感に関係がありそうだと思いますし、それは坂牛さんがおっしゃった「多中心化」ということ。確かに特定な場所をクローズアップすることで作られるヒエラルキーをできるだけ避けたくて、その場を等価にすることで多中心化させるということなのかと思います。それから「視覚が記憶を吸い込む」という、とても面白いですね。われわれが時間を持ちたい時は何らかの形で記憶ということが可能性を持つような気がする。それは後ろへの時間ですね。さっきの未仕上げ感っていうのは先への時間ですね。SAではその対応があった気がします。

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