Dialogue 建てるということ


原理なくして建築は可能か

 安田  昨日、インターネットで「多木浩二」と打ったら、476件出てきました。でも、そのほとんどは欲しい情報ではなく、本当に欲しい情報は2〜3個で、その2〜3個を選ぶのに時間がものすごくかかるわけです。本当にむだな情報がたくさんある。だから、欲しい情報を取り出すのに不自由というか、自由だけど他の多くのむだな情報が邪魔している感じがするわけです。それは本屋に行ってもそうで、あらゆるものが出版されていて数も多い。昔なら欲しい本がすぐ見つかったけれど、今は要らない本が目の前にたくさんあって、それをかき分けていかないと見つからないとか、実はそれも書店によっては置いてなかったりする。そういう時代ですから、電子メディア社会が自由かというと、逆に不自由になってきているかと。

 多木  ある意味で情報を遮断することができればいいわけです。僕も最初のうちはネットサーフィンもいろいろやってみたけれど、あほらしくてやめてしまって、もうタイプライターとしてしか使っていません。

 奥山  今の若い人はそんなものではなくて、うまく活用しています。

 坂牛  いや、活用能力はあるけれど、それは僕らが図書館に行ってカードで欲しい本を検索していたその能力と原理的には変わらない。ただ電子メディア社会ではこの検索能力が飛躍的に増大しているのです。入ってくる情報量が比較にならないほど多くなっているのです。だからある情報がちょっといいなと思えば断片的にセーブすることをやるわけです。ネット情報に限らず、自作の情報もコンピュータの中に断片的にセーブします。そしてセーブしたファイルが急速に蓄積され、それを検索してぱっと取り出してくるという、セーブと検索能力がついてくるわけで、思考の断片化したものをまた組み合わせるみたいなことがあるわけです。その点では、僕らの思考の形態を変えているところがあると思います。僕らは常に驚異的なデータベースを抱えているのです。

 奥山  先ほど多木さんがおっしゃったように、猥雑なものから高尚かもしれないものまでごっちゃになっている。問題は、断片化された情報に価値が投影されないことです。その価値をつくり出す能力さえあれば、それらは最も有効なツールになっているはずです。

 坂牛  逆にその価値を見極めないで、非常に多くのファイルがヒエラルキカルではなくて並列され、それが言ってみればフラットにつながっているのです。ですから、設計をやっている若い人と話をしていると好みに序列がない。これよりこれがいいとかという感覚はあまりない。当然そこに理屈もあまりなく、ただ並んでいる。何か設計するとなると、これとこれをとってきてかぽっと組み合わせるということがおこります。そういう方法は、情報化社会だから起こったのかというと、ちょっとよくわからない。他にも理由があるように感じます。

 奥山  そこにはある意味での心地よさがあると思います。自分の感覚がどこまで及んでいるかよくわからない世界、自己がよくわからない世界というのは、ある意味での快楽を生み出すでしょ。だから、それは快感なんだと思う。

 坂牛  もちろん快感ゆえのノンヒエラルキーということもあるのですが、その裏にあるメタ原理みたいなものがなくなったことのほうが大きく作用しているわけです。だからノンヒエラルキーは情報化社会だから起こってきたことではなく、もっと前から起こり始めている。そこに情報化というものがあるツールとして入り込んでいることは事実だけど、情報化社会だけが原因になっているわけではないと僕は感じます。

 奥山  僕もそう思います。衣服も本来的にはムームーみたいなすごく楽なものがいいし、靴ももっと楽なものがいい。女性の立場でも同様だと思うわけです。しかし、そうではない衣服が世の中の大勢を占めている。そこが社会の仕組みの面白いところで、欲望と願望が常に表裏一体となって現れてくる。禁止をすることで誘惑が生まれるというか、それがどこかでエロティシズムと結びつくし、人間の根源とかかわる部分でもあるわけです。何かを制御する、その裏側にもうひとつの快楽があるとか、それが坂牛さんの言われるメタ原理を支える社会の枠組みだと思うけれど。

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