Dialogue 建てるということ


建築家よ理想主義者たれ

 多木  建築が発生する以前に、建築家の中にはいろいろな図形的な幾何学的な衝動があるわけです。だから、リベスキンドのドローイングなんかがそうだと思いますが、リベスキンドは今度そこから建築に進むとき、ものすごくはっきりした手法の原理をいくつか立てるわけです。それは、ある歴史の持続性あるいは歴史の変動、この都市あるいはこの世界を未来につなげようという理想主義がないと不可能です。だから、あれは格好がどうのこうのいわれていて、確かに美術館として醜いにもかかわらず、ドイツの歴史とユダヤの歴史が重なりつつ発生してくるプロセスには、伊東さんにはないもう少し思想化された理想主義があると思います。もし建築家を特筆大書するなら、理想主義者であるべきだと僕は思います。そういうことを言うとアナクロニックに聞こえるかもしれませんが、どこかで理想主義者にならないとメタ原理も出てこないし、自己と他者の間の境界に対する解決も出てこない。そういうことを言うと、確かにアナクロに聞こえるけれど聞こえてもいいと思う。そう言えるくらいに世界がむちゃくちゃになっているから、もう言ってもいいんだという気がしているわけです。

 安田  リベスキンドとバルモンドがやった、ロンドンで建設予定のアルバート・ミュージアムはフラクタル理論をずっと追い詰めたものですね。あれは文句なしに力強い。理由はなくて、それがいい悪いという問題の前にもうやられてしまったというくらいの力強さがありますね。

 多木  それに比べると、評判はいいけれどビルバオのフランク・ゲリーのはそんな魅力を感じない。あれはどこか理想主義の欠落がある。

 奥山  建築の世界で理想主義を考えるとき、危ない方向に向かう可能性がひとつあると思います。建築は社会的な資本をかなり背負っているところが多分にあるので、全体主義とまでいかないにしても、その理想主義が社会を直接的に変革していけるという想念に直結することが、常に建築家の中での危険性としてあるわけです。僕たちはそうした事実を歴史的にも知っているし、それらが一体何だったのかもある程度知っているわけです。当の建築家たちあるいはその建築家をサポートした人たちが、最初からそうした危険な状態を目論んでいたのかどうかわかりません。おそらく後押しした人たちはかなりの確信を持ってやっていたと思いますが、建築家はどこか踊らされていた可能性がある。そうした危険性について思い巡らすたびに、社会と建築のつながりの恐ろしさに気づいてくる。理想主義がもってっているそうした側面を考えなければならないと思います。

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