Dialogue 建てるということ


多木後記

若いすぐれた建築家たちと話すのは初めてのことで、話してみて面白かった。
それは私にとってまったく未知の相手、他者であったからである。
これを纏めたのは3人のうちのひとりであり、あとの2人は加筆訂正している。
話している最中も、纏められたものを読んだときも、お互いに同じ言葉を使っていても、その意味内容が随分違い、結果として全体に私の言おうとすることとかなり違いがあったが、私は3人の纏めたものに加筆したり訂正したりすることを一切やめた。
それは纏め方まで含めて3人の建築家が自己を主張し、本来、異質な私を踏台にしながら語っていく姿勢のあらわれだと考えたからである。
食い違いをいちいち訂正するなど愚かなことだ。
私は人文系の人間であり、人文学的な思考にとって興味あるかぎり、建築をディスクールの対象にするだけのことであるから、いろいろな食い違いは、むしろそれ自体が私が自分を省みるには興味のあることであった。
これを読んだ読者が私をどう思うかは、私にはどうでもいい。
ただ多少のアイロニー(たとえば理想主義)は忍び込ませているが、4人とも、もう少しアイロニーと逆説で遊んでもよかったかもしれない。
その方が真実に近づけたかもしれない。

初出:『建築技術』2002年5月号


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