質料としての素材考  美学のフィールドからの視線

 坂牛  ル・コルビュジエと言えば、1997年に『ル・コルビュジエのポリクロミー』という本が出版されました。それは、彼が30年代に作った壁紙のデザインカタログの再生に付した、建築の色に関する論文等をまとめたものです。ル・コルビュジエはモジュロールという人間定規をつくり、『モジュロール』という著書もあります。それはある種の形式です。ところが、コルはカラー・キーボードもつくっていた。つまり色という「質料のモジュロール」ですね。しかしそれは割と知られていません。当時のメディアがカラーを扱いにくかった(おそらく高額だった)ために、コル自身プロパガンダできなかったとも言えますが。後世の検討の俎上にもあまりあがってこなかったわけです。

 谷川  ル・コルビュジエの概説史を読む限りでは、その色については論じられていませんでしたね。しかしそれ以前には、ゴットフリード・ゼンパーがポリクロミー(多色性)の問題を盛んに取り上げています。つまり新古典主義の白や灰色の建物はモノクロームで面白くない。そこで多色性を復活させなければいけない、と言っているのです。ところが芸術史の概説書には、ゼンパーは物質や材料を重視したとしか書いていない。しかしそのゼンパーの材料論も色の問題と非常に絡んでいたところがある。新古典主義的なあるいはモダニズム的な禁欲主義に対して、多色性の復活をいち早く19世紀後半から20世紀初頭にかけて言っているのですね。哲学的に言えば、色や音、匂い、味、それらはすべて質料です。その今まで考察されなかった質料性の問題が、モダニズム内部から膨れ上がる形で出てきたのが、ポストモダニズムだろうと思いますね。単線的にモダニズムからポストモダニズムになったはずではないですからね。
 あまり知られていませんが、マルクスも『資本論』の中でこんなことを言っています。イギリスの産業革命が一体われわれに何をもたらしたのかというと――ロック流に言えば――第二次性質を消した、と。そのジョン・ロックの言う第一次性質とは、形や重さ、大きさですが、匂い、味、色、音といった普通は二次的だと思われるものを抹殺してきている。それが産業革命の一番の罪だと言っている箇所があります。ところが美学や芸術などは、全てそうした第二次性質的なものをどう考えるかが、一番の課題だと思うのです。建築の場合には、非常に物質的な営みなので、大きさや形や重さなどといった第一次性質がまず一番に来るけれども、実はそこで、第二次性質的なものをどう考えるかが大きな問題なのですね。

 坂牛  グリンバーグもカント美学を変容して、この第二次性質に接近していたようにも思えます。また、この第二次性質(質料)に言及し称揚している人にバシュラールがいますね。

 谷川  バシュラールは「物質的想像力」(イマジナシオン・マテリエル)という概念を提示しました。しかし「美学は形の科学だ」と言ったスーリオはその概念を批判してます。スーリオに言わせれば、バシュラールの「物質的想像力」というのは、基本的には文学作品の中に現れてくるいろいろな記述――例えばポーの『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』における水の分析――への言及は物質を扱っているけれども、それはひとつの形式である、と批判しているんです。結局はフォルムであって、別にマティエールではない、と。

 坂牛  形式化された質料ということですかね。

 谷川  それでもバシュラールは、哲学的に質料性ということに意識を振り向けたという意味で、非常に大きな役割を果たしましたね。空気とか水とか、土とか……。

 坂牛  大学で建築を教えている知人にこうした質料の重要性を話しても、「それは言葉にできないし、評価しようがない。結局は直感的に、解るやつにしか解らない、格好いいか悪いか、という判断になってくる。それでは教育にならない」、という反応が返ってきました。

 谷川  とは言っても素材あるいは物質の持っている象徴性といった問題は議論できますね。それは、とりわけガラスに集約的に出ていたような気がします。例えばドイツの小説家・シェーアバルトが「ガラス建築」について書いたりする。ブルーノ・タウトはそれを受けてガラス・パヴィリオンを計画する。ガラスはある種の神秘性や宇宙性を持っている。ですからある物質が象徴性を帯びるということでの言語化はある程度できると思うんです。
 カントの『判断力批判』を読むと、彼は質料性を排除しようとしているはずなのに、非常に古い認識がポロッと出てくるところがあるんですね。例えば赤が崇高などといった、色と既成の言葉を結びつけて、その象徴性をとくとくと語っているという、信じがたい箇所があるんですよ。ヨーロッパの古い認識みたいなものがカントの中にもそのまま出てきている。ゲーテの色彩論の中にも似たようなものが出てくる。ゲーテのほうがより精緻に色のシンボリズムを論じていますからね。
 そうした問題は、ヨーロッパにはずっとあったと思うんです。最近、カンディンスキーやモンドリアンなどが影響を受けた神智学がよく研究されていて、彼らはただ単に抽象美術を標榜して構成的にやっていたのではなく、実は色の神秘主義といった思想が背後にあったのだという見方が増えてきました。ですから、抽象美術というのも、単に観念的な問題ではなくて、非常にシンボリックな面を持っていたのかもしれない。もちろん表現主義や象徴主義との関連は非常に強いですからね。

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